Apr 26, 2006

保育サービスって

何かにつけて少子化問題が議論されていますが、その中の大きなテーマとして保育園の不足、待機児問題があります。保育園が不足→育児と仕事の両立ができない→産まない、産めないという三段論法が、大きな社会現象である少子化の要因としてどの程度効いているかの見極めは難しいですが、個々の家庭にとっては保育園に入所できるかどうかは一大事。ここ数年都心回帰とやらで大規模マンションがにょきにょき建ったせいなのか、これまでなら確実に入れると見込まれた条件の人が待機となってしまい、某区の保育課窓口に押しかけて大変な騒ぎであったというハナシも聞きました。

 我が家の場合も、近所の保育園は夜間保育実施かつ交通至便で人気が高く、自宅からかなり遠い園に何とか入所できた状況です。近所の園に転園の申請を出し続けてはいるものの、なかなか困難。そんな状況で2人目出産を夏に控え、保育園問題は頭の痛い、かついろいろ考えさせられるテーマです。

 もともと認可園の場合、保育園への入所は行政の措置制度であったのが平成10年の児童福祉法の改正で利用者による選択方式の制度となっています。だからといって、実際利用者が“選択”できるケースは都心部に限ってはまずないでしょう。各家庭の「保育に欠ける」(すごい表現だと思うが・・)状況を点数化し、点数の高い家庭から優先的に入所が認められます。なので、保育所に入所を申請する際には、家族構成や勤務先、勤務状況などに、収入等非常にプライベートなことを記入した書類の提出が必要です。大雑把に言って、求職中よりは有職、外勤、長時間勤務が優先されるのはもちろん、祖父母が遠方かどうか、一人親家庭かなどの要素が検討されます。合理的なようですが、果たしてこのシステムが公平なのかという疑問は、この体系では低得点となる我が家の場合常に頭を離れません。また、自分の家庭の状況を第三者に点数化され、その点数によって望むサービスが得られる、得られないという状況は、自分の欲しいもの、受けたいサービスは自分の手間ひま努力とコストをかければどうにかなると、この消費社会でウン十年刷り込まれ、信じてきた私にとっては、非常に違和感があるものです。保育料が実質無料から最高5~6万円(月額)まで世帯の収入に応じてかなり異なり、保育時間や立地や内容などサービスの質には関係ないというのも不思議な感じがします。

 そもそも行政の保育サービスは福祉であるという考えがベースになっているため、自己選択・自己責任、価格とベネフィットのリンクや匿名性といった私の一般消費者としての常識とは相容れないわけです。しかしながら、保育園をめぐる状況は大きく動きつつあります。東京都が平成17年に策定した「次世代育成支援東京都行動計画」では、都市型保育サービスの充実への取り組みとして、認可保育所の「保育に欠ける」要件の見直しと直接契約制度への転換などが提案されています。要は在宅の子育て家庭も利用できるようにする、ニーズに合わせたサービス提供を競争により促進させるということかと思います。実際、都心部を中心に民間による保育所の新設も相次ぎ、幼保一元化、公設民営化園など新たな形態の保育園も登場しています。交通が便利、教育もしてくれる、時間に融通がきく、親の手間が少ない等のニーズに応える一方で、設備面や人材面での不備を指摘する声も聞かれます。措置制度から契約制度へと転換した介護保険制度で、給付費の増大やサービスの質の問題が指摘されている例が思い出されます。

 規制緩和や小さい政府を目指す現在の社会状況では、従来のように公設の認可園だけが保育サービスを担うことには限界があり、ユーザーニーズの点からも現実的ではないでしょう。そうすると保育の質が保証されない・・というのはよくある議論です。それに対して、ユーザーが唯一できることは、徹底的に選択を行うということです。過渡期であり、かつ絶対的に保育サービスの量が不足する売り手市場の中で、手間もひまパワーも、もしかしたらコストもかかるかもしれませんが、どの保育園に預けるかという選択や入所後のサービスの質に対しても、厳しい眼と発言、行動をしていかないと、と自戒をこめて考えています。

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Nov 07, 2005

雑木林で遊ぶ会

雑木林で遊ぶ会で遊んだお子さんが、大学生になって卒論のテーマに「里山で遊ぶ子供たち」を選び自己の追体験と幼児教育についてレポートをまとめています。
昨日は、近隣の小学校に声をかけて1組の家族連れが参加してくれました。
同じように子供を自然の中で遊ばせる「コロボックルの会」の大人の方も見えて子供の幼児教育について
話し合いました。

大学生の中からは、
今の大学生は、決められたレールの上を走ってきたので社会に出たときに、自ら考えようとしない。
また壁に当たったときに、衝突を恐れて逃げる傾向がある。

大人の側からは、
子供も3~4年までは、親に随ってくるが部活や友達ができるとそっちの方が大事になって雑木林には
目もくれない。
大人になったときに、雑木林で遊んだ経験がどうその人の生き方に影響を与えるか、評価は難しい。
人間は、その時々の状況に応じて変わるものだから。

私自身、子供を1人しか育てていないので何とも言えませんが(まだ子育て中なので)小学校の低学年までは
海や山に連れていき地元の公立小学校に通い、小学校5年の時に転勤に伴い転校をさせて友達と別れさせ寂しい思いをさせたことを悔やんでいます。その後彼は新しい仲間を作り、さっさと親から離れていきました。

都会では、自然環境が少なく気軽に子供を遊ばせる場所がないことも承知しています。
それでもプレイパークやビオトープでの自然観察を通して遊びの創造性や生命の尊さ、感受性は育まれると
思う。
後は親の問題。
親が関心があるかどうか(特に幼児期)
親自身が子供の頃、自然の中で遊んだ経験があるかどうか。
塾やスポーツ教室、お稽古事で忙しかった思い出しかない、では自分の子供を自然の中で遊ばせるか
どうか。
皆さんはどう思われますか?

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Sep 15, 2004

栃木の幼児殺害事件

栃木で幼い命が失われました。
報道によれば、同居していた容疑者が以前にも虐待を繰り返していたとの事。
近所の商店の人が不審に思い児童相談所が保護をした事。
父親が祖母との同居を条件に引き取りにきた事。
にもかかわらず何故また容疑者と住むようになったのか、疑問です。
父親は何をしていたのかと疑問が残ります。

以前、我が子(そばアレルギー)が昼食後、アナフィラキシーで病院にかつぎこまれた時、学校から職場に連絡が入り大急ぎで病院に向かったことを思い出します。
母親が学校には「この子はそばアレルギーですので、絶対にそばは食べさせないで下さい。」と細かいメモを渡してあったにも関わらず、調味料の中に胡椒と一緒にソバが混ざっていたのではないか、という話。

子育ては、手がかかります。親は細心の注意を払っても子どもを守る義務があります。
3歳、4歳と言えば悪戯盛り。家の中は、想像に余りあります。

「子捨て」というのでしょうか?子育てを放棄してしまった親たち。
そういう風潮が強まっているのを危惧します。
現実を見つめないで目をそらす大人たち。
私を含めて自戒します。

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