Oct 14, 2005

障害は自己責任?

障害者自立支援法案が参議院で可決された。
法案は、衆議院に移されるが、あの衆議院だもの。
成立したも同様だ。

この法案、正直、今まであまり内容を気にしてなかったのだが、この文章を見て、愕然とした。
私も、YAHOOニュースのリンクをたどって読んだものだがわかりやすい。
法案の中身を良く知らない向きには、ぜひ一読を勧めたい。
http://allabout.co.jp/career/careerwelfare/closeup/CU20050706A/

このところ、介護保険法改正だとか、医療制度改革だとかで、「入院中の食事や住居費(?)」の自己負担がどうやら標準となって行きそうな雰囲気がある。
介護保険で言えば、在宅の人とのバランスをとるためと説明されている。
同じ被介護者でありながら、在宅の人は食費も住居費も光熱費も自己負担であるから、施設入居者にも応分の負担を、という論点だ。
介護保険制度の場合、もともと要介護度によっても給付の水準が変わるので、同じ介護度の人にこうした措置をとるのは仕方がないのかもしれない。
ただ、「公平性を」と叫ばれる場合、概して「不公平な方」の水準に合わせられるんだよね。
ま、仕方ないか、小さな政府だもんね。
介護保険のこうした改正にあわせて、医療の方でも入院患者の食費などは今後自己負担となる方向だ。
(それなら、メニューを選ばせて欲しいし、皿などもあの無機質ないかにも病人食って雰囲気のあれは、やめて欲しい。入院中であっても、食事は自由に外に行けるようにすべきだ。消費者に選択権がないのに料金だけ請求されるサービスってなに???)

介護保険の給付や、比較的短期間の特別な状況である入院の場合は、まあ100歩譲って良しとしよう。
しかし、障害者の「応益負担」ってどうよ。
受けたサービスに応じて、1割の負担をする、と言うのが今度の法案の内容だ。

だが、障害や病気は、消費者が「選択」してなったわけではない。
「サービスを受けた」と言えば、通常の消費行動のように聞こえる。
だが、障害者や病人にとっての介護サービスや医療サービスはけして選択して受けるものではない。
昨年改正された消費者基本法にも堂々と書いてあるじゃないか。
「消費者の自主的かつ合理的な選択の機会が確保され」って。
つまり、多少極論となる可能性を恐れずに言うとすれば、介護や医療を受けることは消費行動とは言えない。

障害者として生まれてきた者、障害を負った者、病気を患った者に対しても「自己責任」を求める社会とはどんなものなんだろう。
健常者から見れば「1割負担」はまだまだ厚遇されている、と感じるかもしれない。
だが、障害があるために、仕事ができない、やりたくても採用してもらえない、という点で、障害者と健常者はスタート地点が違う。

他人の痛みをわからずに、一律に「自己責任」を求める社会になっていくのだろうか。
一方で、高齢者であれば一律に保護する既得権は健在なまま、と年金不安世代としては指摘せざるを得ない。

高齢者であっても健康で収入を得る能力があって幸せに暮らしている人は多い。
そういう高齢者は、「青年」世代〈壮年?)である私なんかと比べてもなお裕福だ。
この調査を見ると、現在の生活に満足している人の割合は、高齢者にこそ多い。
仕事の能力や趣味や裕福さを考えると、この人たちを単に年齢だけで「弱者」と決め付けるのは、本人にも失礼なのではないかと思う。
このような高齢者のために、一握りの勝ち組と多数の負け組がいると言われる我々現役世代が支援を行うのはどうなのだろう。

まず、福祉と既得権を切り離してほしい。
単純に年齢によって強者と弱者を分けないでもらいたい。
そして、「今まで年金保険料を払って上の世代を養ってきたのだから」みたいな既得権は、捨て去ってほしい。
税や制度はその時々の社会情勢で変化するものだ。

そして福祉は、本当に困っている人に対して不足なく与えられるべきだ。
福祉については「民営化・自己責任」的考え方と切り離してほしい。
本当にメスを入れるべきは、医療負担が少ない&ひまつぶしのために病院を占拠している「本当は健康な」高齢者などだ。
「選択」することなく、障害や病気を患ってしまった人には、せめて生きるための基本的な権利や、人間らしい日々の生活を保証してほしい。
自己責任を強調する社会であれば、自己責任ではない事柄に対しては、手厚く保護するべきではないだろうか。

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Dec 22, 2004

まいったなボランティア活動その2

生涯学級の集まりが昨日あった。

今企画している講座は、来年9月と10月の毎週火曜日計7回の予定だ。
内容は、あらゆる方面から自己防衛を考えようという趣旨で、
悪徳商法、防犯、護身術、マネープラン、心、救急、食、と各回異なる分野でアプローチをする。
私たちがやることは、その講座の運営。
講師などは、外部から招聘して行う。
運営委員は6人。

もともとは区の無料の講座、生涯学級運営講座に参加したとき、最後にグループごとに企画をしようという授業があり、その際に私が参加していたグループがたてた企画だ。
その企画が、どうやら実際にやれそうだということで、区の担当者が目をつけ、そして呼び寄せられたのが今の人たちだ。
運営講座の際のグループの人はおらず、だから私が「提案者」となっているわけだが、実際には学級のときは、実行するつもりでたてたわけではないし、運営するという前提はなしに、単にその場で出したアイディアだ。

現在集まっている人たちは、区の担当者のつてだとか、その運営講座に参加してた別のグループの人とか、基本的にみんな、区から声がかかった人らしい。
私も、電話をもらったとき、集まる頻度をしつこく尋ねた。
あまり頻繁なようだと、参加できないと強く強調したつもりだ。
担当者は、それは私のスケジュール優先で決めていいし、集まるといったって、一つの講座が終わったあと1時間くらい委員でミーティングをする程度だと言った。
それくらいならまあ良いだろう、と思って受けた話だ。
しかし、動いてみると、現に、初回ミーティングの1週間後に2回目ミーティングが実施されている。
どちらもゆうに2時間程度はミーティングに時間がかかっている。

どうも、時間に関する考え方が、違うようなのだ。
集合時間になって、集まっていたのは私を含め3名。あと3名が来ない。
区の担当者は「休むという連絡はないから来ると思う」と言い、スタートする様子がない。
5分後、1人から「30分遅れる」との連絡が入った。
あとの2人は10分後くらいに現れた。

時間を守った人が待たされるという集合の仕方にまず文句を言いたくなった。
誰だって時間をやりくりしてスケジュールをたてている。
ぐっとこらえて議題を進める。

例によってあまり意見を活発に言う人がいないので、ついつい悪いとは思いつつ、進行係的な役割を担ってしまう。
みんな、意見は出さないけれども、すぐに話が横にそれる。井戸端会議だ。
雑談になると、えんえんと活発に喋り始める。
じりじりと自分自身の本業の時間が削られていくことに、私は気が気じゃない。

今回、本当は「時間」について提案しようと思っていた。
ミーティング時間はあらかじめ終わる時間も決めておき、時間通りに終わるようにすること。
時間通りに始めること。
集まる日程は最低限必要な日数で決め、なにかあれば臨時に集まるとすること。

しかし、言えなかった。
他の人の求めることが、必ずしも私が考えていることと同じではないのではと思ったからだ。
だらだらと会議に時間をかけない、話は短くまとめるというのは、ビジネスの世界なら常識だ。
だが、この集まりはビジネスではない。
ボランティア活動にビジネスを持ち込むのは良くないのだろう。
時間をかけて計画を練ること自体をみんな楽しみたいのかもしれない。
実際みんなどんなふうに考えているのだろう。もう少し親しくならないとそれはまだ聞けない。

ああ、やはり、とんでもないことを引き受けてしまったのだろう。
自分が食っていくことに精一杯の余裕のない貧乏人には、ボランティアなどという高尚なことは、100年早かった。


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Dec 15, 2004

まいったなボランティア活動

前回まで生涯学習講座に参加していて、来年度の生涯学級運営委員にスカウトされたわけだが。
今日、それの集まりに出席してきた。
講座ごとに運営委員を選出するらしく、私は前回の講座で案を提案したため、提案者として呼ばれた。
区の生涯学習担当者の人がそれぞれの委員に電話をかけ、その講座を実践する人を集めたようだ。
なにかの講座で目立っていた人とか、そういう人が呼ばれたみたい。運営委員は5人。
実際には、みんな「頼まれたから仕方なく」的な参加状態。

私自身もそうで、迷った。
どうなんだろう、お給料ゼロで、時間を提供する。
やるとなれば責任重大だし、自営業者の私などは、時間の融通は利くとはいえ、それは自分の営利(?)事業の時間を削って参加するのだ。
そういう悠長なことをやれる立場であるわけでもない。
一分一秒だって、自分が生活できるだけの「金儲けの手段」を私が考えなければ誰が考えるのよってのが、フリーな立場で生きてる人間の現実。
だけど、このボランティア事業に参加することで学べる人生経験は多いだろう。
引退したあとだって、そういう伝手があると、孤独じゃなくなるしな。

真っ向からいやならもちろんOKするはずはない。
少し、そういう迷いがあったけど、断るのももったいないような気がして、中途半端に参加することになった。
「そんなに言うならやるのはやぶさかではありませんが、忙しい時期は休んでもいいですか」てな、具合ね。

生涯学習講座で私が考えた企画がそのまま通ってしまったのが運のツキ。
なんとなく、参加初日から、「提案者」扱いで荷が重い。
でもまあ、苦労は買ってでもやれ、だっけ。
やったあとはすかっとするのだよなあ、と参加が決まった後も、なにか煮え切らない私。

参加ミーティングで感じたのは、やはりお役所主導だからなのもあるのかもしれないけれど、効率を重視しない「お役所仕事」だよなあ、という点。
一週間に一度集まるだとか。
困るんだよね。「営利」の時間を削って参加するのに、集まる時間だけ決めて、終わる時間の設定がない。
結果えんえんと、あーでもない、こーでもない、って話が循環するだけなのよ。
帰って仕事したいんだけどそういうことも言い出せず。
この業務をやるにはそれでいいんだろうけど、みんな、別の生活もあるわけですよ。

救われたのは、子育て中の参加者。
若いお母さんが二人、メンバーにいて、「子供を迎えにいく時間が迫っているので話しまとめてください」と主張しそれが通って閉会となった。
助かった。
私は初日から彼女ら二人となにか仲良くなった感じだった。

だけど、子育て以外の「予定」を軽視するお役所のお仕事。
ちょっと、先行き不安定な私であります。

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Nov 12, 2004

続いてます☆生涯学級3回目

今回は、広告の役割についての研究。
KJ法を使いました。
宿題で集めてきた「気になった広告」を持ち寄り、その広告のどこが気になったのか挙げていくの。
「絵がすてき」とか「コピーが良い」とか「プレゼントにひかれた」とか。

ひとつの感想を一枚のポストイットに書き、思いつく限り挙げていく。
そのあと、ポストイットだけを集め、似たような感想を同じグループとし、グループの題名をつける。
またまた4人グループで作業をするの。
最後に、話し合って「惹かれる広告表現の類型」を箇条書きで挙げる。
うちのグループでは惹かれる広告表現の類型を4つに分けました。

視覚に訴える広告(絵や写真)
言葉に惹かれる広告(コピーや表現のわかりやすさ)
感情に働きかける広告(ドキッとさせる、好奇心を刺激するなど)
メリットを強調する広告(プレゼントや割引券付きなど)

分類の仕方はもちろん人によって変わる、などそういうことを学びました。
KJ法というのは知っていたけど意識的にやったのは初めてかな。
ただ、調査データ分析などでそれとは知らずに使っていたことはある。

最終的には、これらの手法を用いて、自分たちの企画を作るというのが目的らしいんだけど、今回は広告分析で精一杯。
おいおい、残るは最終回の2時間のみ。
そこで企画作りあがるの?っていうペースです。
しかし、このような、自分たちが動くのがメインの講座運営っていうのは、ちょっと眼から鱗。
受講者は、思いのほか参加した気分が盛り上がり、仲良くもなるし、得ること大なのね。
(たまたま私のレベルにあっていて、いちいち感動しているだけかもしれないけど)
ワークショップ形式の授業は、参加者もそれなりの責任感と緊張感をもって授業を作っていくのに参加します。
参加者のキャラクターによって、授業の成否も左右するところがあり、緊張するけど、終わったあとは爽快だよ。

先日、私自身も自分が主催するアドバイザー受験講座2回を終えたばかり。
うちは人手不足なので、面接体験も、受講者の方に面接官の役までお願いする。
使っちゃって悪いねえ、って思うんだけど、これもワークショップかな。
(知ってるよね!岩村さん?)
昨年の受講者さんには「面接官までやらせてもらって」と感謝されちゃったんだけど。

毎週火曜日早めに帰宅して、速攻で晩のしたくして、ビールも我慢して通った生涯学級。
学べることはすべて吸収して、来週の最終回を終えたいものです。

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Nov 02, 2004

生涯学級2回目

生涯学習学級第2回目に参加してきました。
だんだん芽生えてくる地域貢献の精神・・・良いですねえ。
どうも、地域デビューの私にとって、この講座は得るもの多大なようです。
(ほら、口調だって、いつのまにか丁寧になった)

今日は、前回と比べて、講義中心で、緊張感が少なかった分(?)感想は少なめです。
ただ、参加者の半分近くはどうやら現在生涯学習学級を運営している人たち。
消費者講座もそうなんだけど、やはりそういうものに積極的に参加する人っていうのは限られている様子です。
プロが集まって学んでいるのね。
本来ならば、そういうことを全く知らなかった人が新しく開眼してこそ成果があったというものだと思う。
そういう意味で、私みたいなのが参加するのが本来の意義あるこの講座の成果なのかも。

今回は、その中のプロ中のプロ、みたいな喋りも上手ですごく前向きで前回もとても目立っていた方とお知り合いになれたことが収穫でした。
ちょっと、その人と親しくなりたいなって前回眼をつけてたのね。
グループ学習になったときに、組んでみました。
初心者の私はそういう目立つ人にひっぱってもらおうと・・・。(って、なんか楽天みたいで、嫌ね)

うちの区では、来年度の生涯学習運営委員(?)を募集しているようです。
やってみようかなあ、と感じる今日この頃。
なんていい人になってるんでしょう私。

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Oct 31, 2004

生涯学習学級に参加した

地元の区民講座みたいなやつで、「生涯学習企画講座」みたいなのが無料で参加できるので、申し込んでみた。
毎週火曜日、全4回なので、そのくらいなら、続くかも、と思ったのだ。
今週の火曜日、第1回目に参加した。
消費者講座などで人に講義をする経験も時々あるし、日常業務でも人の学習を後援している立場。
何か得るものがあるかも、という軽い気持ちで参加してみた。

区民の無料参加講座のわりには、えらくレベルの高い講義で、たじたじとなった。
火曜日の夕方、軽い気持ちで2時間くらい講義を聞いて、賢くなった気分になって自己満足して帰ろうと思ったのに。
今後、あと3回受講するの、ものすごくエネルギーいりそう。

講座は、2時間話しを聞くという形式のものではなかった。
最近主流の、「参加型学習」であった。私の苦手な。

まず始め。
いきなり、「ビンゴゲーム」をやらされた。自己紹介がわりらしい。
たて4よこ4くらいの升目の書いた紙が配られて、そのひとつひとつの升目に質問が書いてある。
参加者の人に声をかけて質問に答えてもらう。
一人の人に一つの質問。
それで、横一列の質問に4人の人に答えてもらえばビンゴが一つできあがる。
制限時間内に何人に声をかけて質問項目を埋め、いくつビンゴができるか競争だ。

次、グループ学習になった。
A3の白紙を配られ、自分の今までの人生を道路に例え、紆余曲折を交えて絵をかけという。
失業などで、人生がお休みのときは赤信号を描く、など独創性が要求される。
絵を描いたら、それをグループの人に示しながら自分のこれまでの人生を解説する。
照れくさい。

その次は、ブレインストーミングだ。
グループで、今現在、社会問題だと思うテーマを一言でブレインストーミング方式で挙げていく。
たくさん挙がったチームの勝ち。
ルールは、たくさん出すこと。
人の挙げたものを批判しない。
人の挙げたものを発展させてアイディアを出す。
など。

なんというか、自分で動かなければ、成り立たない、みたいな授業。
後ろの方に陣取って、傍観者的に聞いていよう、なんて思ってた私は仰天した。
しかし、その場にいれば、やはり一生懸命参加する以外ない。
てれくさいながらも、自分の人生の道路、などを真剣に描いたのだった。

第一回目に学んだことはこれだ。
そうか、学習するにも口あいて待ってるだけではだめなのねと。
自分で、少し緊張しないと、だめらしい。
なんかの講座に参加して、賢くなったような気分で自己満足して帰ることは多いけれど、そういうことではすぐに忘れるし、対して身にならないかもしれない。
やはり、その場で「やれ」といわれたときには少し嫌な感じがしても、やり遂げた(しかたなくやるんだけど)ことで、ある種なにかを乗り越えて、それでこそインパクトも残り、実に成るのかもと。

参加者は、わりに高齢者が多かった。
主婦の人とか定年退職した人とか。
そして、ボランティア歴ばりばりで、地区会館とかの話で盛り上がる。
地域活動初デビューの私としては、ついていけない話ばかりだった。

でも、「ビンゴ」で参加者と一言会話をかわしたあとだったし、なんだか、私らしくもなく、地域活動も大切だなあ、なんて思った。
黒尽くめの格好で、つんけんしてて、近寄りがたい風情の私なんだけど、けっこうほのぼのして、地域でボランティアできたら、たまには良いなあなんて思って帰ってきたのでした。
ま、今後、あと3回、挫折せずに講座に参加するためにも、ブログで毎回講座内容を報告することにいたします。


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